「追憶のハイウェイ61」を聴いた。
このアルバムは1曲目が名曲中の名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」。
パーソネルにはアル・クーパーとマイク・ブルームフィールドの名前が並んでいる。
生まれは1965年時代も感慨深い。
この頃のディランは、「ブリンギング・イット・アール・バック・ホーム」、「追憶ハイウェイ61」、「ブロンド・オン・ブロンド」とエレクトリックな構成のアルバムを続けて発表したらしい。
らしいというのは、元々ディランにはあまり興味がなくて、「風に吹かれて」のギター1本のフォークシンガーのイメージしかなかった。
学生の時に「コーヒーもう1杯」を耳にして、当時4曲入り17cmLPを買った時に、弾き語りのフォークシンガーではないことを知った。岡林信康+はっぴい・えんどが和製「ディラン+ザ・バンド」と呼ばれたということは聞いてはいたが、ザ・バンドにも興味がなかった。今でもさほどないけど。というと酒屋さんに文句を云われる。
つまり、日本人が頭に浮かべるいわゆるフォークソングじゃない。
今ではアルバム「欲望」をCDで持っているけど、ディランについてはそんな程度だった。
それが、なんとなく「ディランもいいなぁ。」と思うところがあった。たぶんRCサクセションのアルバム「カバーズ」に入ってる「風に吹かれて」を聴いてかもしれない。
そんなことでディランを聴くようになったら、エレクトリックになり始めた頃のディランのアルバムを調査して買った記憶はないのだが不思議と3枚とも持っている。
初めに「ブロンド・オン・ブロンド」を買ったら、♪いいじゃないの 幸せならばぁ~ と気に入った。
その後、「ミスター・タンブリンマン」と「マギーズ・ファアーム」が入ってる「ブリンギング・イット・アール・バック・ホーム」、一番ジャケットが気に入ってたこの「追憶のハイウェイ61」を買った。
3枚ともバイク事故を起こす直前の作品で、時代のアルバムだったんだなぁ、と思う。
”WE ARE THE WORLD”のディランも格好良かったっけ。
その後、1960年代後半にクリーム、ジミ・ヘン、ジャニス、スライ&ザ・ファミリーストーン、キング・クリムゾンなどなど忘れられないバンドが誕生してロックは隆盛していく。